ケガなど数えきれず、成人してからは、アウトドアで
命にかかわる負傷が絶え間なくあり、
母親には、随分心配させた
認知介護度5
症状が初期のころ、被害妄想、奇行から始まり、
足腰が丈夫なだけに、俳諧で近郊の派出所から頻繁に連絡
夜間 自営業の仕事で 二人とも くたくた状態、夜中にゴム手袋をして汚れものの後始末
10年以上は、不眠不休で自宅介護
昔は今のように認知介護専門施設がなかったが、亡くなる1年半前に、車で40分のところに個人施設ができ入所
週1度 洗濯物交換がてら、逢いに行っていた
その後、市内の施設に移行したあとは、毎日 おやつを持参、口の洗浄、一緒に苑内を散歩する
今だに「もっと なんか うまく 家で、世話 できんかったかねぇ ・・・」と女房は言う
一番介護がひどかった時、疲労で倒れ入院したことがあった
母親の子は全部で7人 いつも世話をして暮らしている我輩夫婦は、息子と娘だとよく言っていた
女房は、本当によくやってくれた 感謝しかない
オレの時も頼むと言ったら、「あっ、今は施設がたくさんあるから 今のうち選んどかれ!」だと
なんじゃそれは・・・「そうやな、お前も そうしろよ!」と言ってやった
「でも、そう簡単に入所できんかもしれんわ、そうなったら仕方ない、一緒におらんなんね!」女房
なんちゅう会話じゃ!