簡単に塩焼きかな
我が家のばあさん
「火のそば暑い!」と汗を拭いて支度しとる
昔からの富山のおかずが手早く出てくる
長いこと生きてとるから 年の功か…
時間かけるときは、なんやかんや作る
口に合うようには なっとる 慣らされたといったほうが正しいかな
畑の野菜と釣った魚で、
今晩もキーンと冷えたビールで、道(のど‼)通して 暑さを乗り切らんまいけ!
TEL/FAX.076-425-1040
MAIL.mametsubu@saisai-coffee.info
富山県富山市掛尾48-2
営業時間:AM10:00~PM6:00
定休日:毎週月曜日・火曜日(祝祭営業 翌日休み)
お邪魔します。
毎日のひどい暑さと自粛生活で、
心身ともに疲れがたまります。
数年前の写真を見て、改めて思いました。
書かれた女性は、事故で脊髄損傷され 動く右手にベルトで固定し描かれています。
事故当時、1週間危篤状態、目が覚めたら体がまったく動かない、
自殺しようとまでされました。
そばのいるご主人に、
「こんな体になって もう生きる意味がない」「死にたい…」と告げると、
「生きていてくれさえすれば、それだけでいいんだ」
「子供達の成長を一緒に見ていこう」
そう言われ、生きることを決意、苦しいリハビリで
指は動かないけれど右手腕だけは動くようになられました。
お医者さんには、奇跡 だと言われたそうです。
本当にすごいかたです。今も頑張っておられます。
私なんかは年を重ねてあちこちガタガタですが、
暑いだの、辛いだの、誰かさんに文句言われてイライラ??など ぶちぶち言っていてはいけませんね。
頑張って、乗りきらなくては…
ケガなど数えきれず、成人してからは、アウトドアで
命にかかわる負傷が絶え間なくあり、
母親には、随分心配させた
認知介護度5
症状が初期のころ、被害妄想、奇行から始まり、
足腰が丈夫なだけに、俳諧で近郊の派出所から頻繁に連絡
夜間 自営業の仕事で 二人とも くたくた状態、夜中にゴム手袋をして汚れものの後始末
10年以上は、不眠不休で自宅介護
昔は今のように認知介護専門施設がなかったが、亡くなる1年半前に、車で40分のところに個人施設ができ入所
週1度 洗濯物交換がてら、逢いに行っていた
その後、市内の施設に移行したあとは、毎日 おやつを持参、口の洗浄、一緒に苑内を散歩する
今だに「もっと なんか うまく 家で、世話 できんかったかねぇ ・・・」と女房は言う
一番介護がひどかった時、疲労で倒れ入院したことがあった
母親の子は全部で7人 いつも世話をして暮らしている我輩夫婦は、息子と娘だとよく言っていた
女房は、本当によくやってくれた 感謝しかない
オレの時も頼むと言ったら、「あっ、今は施設がたくさんあるから 今のうち選んどかれ!」だと
なんじゃそれは・・・「そうやな、お前も そうしろよ!」と言ってやった
「でも、そう簡単に入所できんかもしれんわ、そうなったら仕方ない、一緒におらんなんね!」女房
なんちゅう会話じゃ!
マスターの家族(女房)です。
お邪魔します。
今日は、富山の空襲があった日
祖母や母からよく聞かされました。
目の前に起きた恐ろしくて、悲惨なできごとを実体験
涙ながらに語っていた二人の言葉を
経験のない子供の私には、「そんなことがあったんだ」ぐらいの気持ちでした。
育っていくうちに、実話を元にした映画やドラマなどを観ると、
二人の言っていたことと全く一緒だとわかるようになり、心が苦しくなることが度々ありました。
とり返しのつかない大きな間違いを犯したのです。
今も続いているような… 生意気なこと言ってしまいましたが ><
空を眺めながら、ふと思い出したことが、早く夏空になってほしいです。
なぜなら、我が家の梅を3日間干したいからです?!
目先のちっちゃいことながら、ばあさんは 日々気をもんでおります。
お邪魔します。
毎日の気温差で早くも夏バテです。
日々食事の準備をする身として、
家族がいるのに手抜き調理での支度なので
自分が怠け者だとつくづく実感します。
私の祖母(明治生まれ)は、28歳で未亡人になり、ひとりで4人の幼子を育て上げました。
男尊女卑の時代、寝る時間も少なく働き、便利な道具は ないくとも衣食住を整え、
戦火をくぐりぬけることもあり、命がけで家族を守ってきたと母が言っていました。
脱帽です。
あー暑い、だるい、とぶちぶち言いながら買い物にいくと、ヨシナを見つけました。
ばあちゃんの昆布〆を思い出し、「よっしゃー!」と気合が入り、
葉っぱ、筋取り、湯がき、ショウガ千切り、、、「やっぱり、面倒だなぁ…」
「なに言っとる そんなことぐらい さっさとしられんか!」と きっと ばあちゃんに叱られます。
今晩はマスターの晩酌で、まずくても しっかり食べてもらいます!!
先日 友達が
「生存確認?!?!をしに来たよ!」と言って
訪ねてきてくれました。
どうにもならない世の中の流れを二人の老婆(私と友)が
眉の間に縦しわを作り 話していました。
「今年は、感染被害や自然災害でボロボロの世の中だったね…」
「これから生きていく子供たちが、かわいそうで…それだけが心配やわ」と
「終盤の人生、このままマスクして終わりたくないね」
「最後は、外してもらえるよ!ワハハ」
「笑ったらあかんよ!」
「ひどい災害で、本当に気の毒だねぇ~」
「ほんと…」
「この年で なんもかも失ったら、どうしたらいいがかね…」
「そうやねぇ 気力、体力なんか とうてい続かんし、かえって人に迷惑かかるだけやわ…」
「かといって、生きていかんなんし…」「せめて、人の手を借りんよう動けるようしておかんとね」
「頭から足まで、しっかり動かして生活していきたいもんだちゃ」
「私ら二人とも、頭だけは無理かもしれんわ~」
「そうや 自身ないから たまに確認しあわんとね!」
友は、一時間ばかりおしゃべりして、帰っていきました。
生存確認は、
それなりに元気で生きていることの 幸せの確認 でした。